人を看取るということ
つい気になって色々調べちゃう。
近年では自宅で最期を看取られるご家族が増えつつあるようです。
乳がんで闘病されていた小林麻央さんも、ご自宅でご家族に見守られての旅立ちだったようですね。
今朝ゴミを出しに行ったら、近所のばば様方に捕ま……声を掛けられ、長い井戸端会議に参加させられました(苦笑
その会議中、「最期は家で死にたいわ~」とおっしゃる方がみえました。
ばば様1「病院で苦しい思いして死ぬのは嫌やわ。もうあかんってなったら、退院させてもろて家でそっとしといて欲しいなぁ」
ばば様2「うちは嫁が“面倒やから帰さんとって”って言うわ、絶対(笑」
ばば様3「うちもやわ。嫁も娘も看護師やのに、“ばあちゃん、介護大変やからコロッと逝ってな”って言うとった」
私「あはは……あははー……」
ネット上では『幸せな最期』みたいな感じで在宅看取りの記事がいっぱいあるのに、それをいざ自分ができるかどうかは別の話なんですよね。
3ばば様は皆さんお元気で、まだまだそんな心配は先だと思います。
だから家族もちょっと辛辣気味なこと言っちゃうんだよ、たぶん。自信ないけど。
母は入院中ずっと家に帰りたがっておりました。
腹水が溜まって苦しいのは自分なのに、すぐ処置して頂ける病院より、苦しくてもいいから家に居たい、と。
ドクターに相談し、退院の許可を貰い自宅に帰って来た翌日、状態が急変して大慌てで救急車を呼びました。
母は意識が戻ってそこが病室だと分かると、悲しそうな顔をしたのを覚えています。
それからひと月ほど病院で過ごし、亡くなりました。
看取りについて調べるうち、「母も自宅で看取ってやることができたんじゃないだろうか」と思ったりします。
母はまだ介護認定を受けていませんでしたし、お世話するのは主に私。
姉もこの時期は実家に戻って来ておりましたが、小さい姪もいましたし、母の看護だけに時間を取ることは難しく。
兄は週末ごとに帰省してましたが、仕事が忙しい時期と重なり、無理を言うわけにもいかず。
そんな状況でも、やっぱり在宅看取りの道はあったんじゃないだろうかと、今更ながら思うのです。
もちろん、理想論だけでは成り立たないことも十分わかっているのですが、それでも家で!という家族の強い想いで在宅看取りを行われたブログ記事等を読むたび、もっと母にしてやれたことがあったんじゃないのかと、思うのです。
余命宣告は受けていました。
これ以上の治療をしても、完治は難しいだろうと。
母の命の終わりがすぐそこまで来ていることを、私たちは素直に受け入れることができず、万に一つ、億に一つ、あるかないか、分からない奇跡にしがみ付いて、出来る限りの治療をお願いしました。
それが本当に母の為だったのか?
母を苦しめただけじゃんじゃないだろうか?
治療がもうできないなら、自宅でゆっくり過ごせる環境づくりが私たちのやるべきことだったのでは?
……なんて、本当に今更で、全ては遅いのですが、そんなことを思ってしまうのです。
そして3ばば会議に戻る。
ばば様1「そう言えば去年亡くなった〇〇さんとこのおばあさん。あの人はえぇ死に方しなさったなぁ」
ばば様2「せやったなぁ。デイサービスもヘルパーさんも使わんと、自分のことは自分でちゃんとやって、死ぬ直前まで自分でトイレも行っとったって。あー疲れた、って言いながら部屋に戻って来て、布団に入ったらすーっと息が止まったってお孫さんに聞いたわ」
ばば様3「見送り行ったけど、ほんま綺麗でえぇ顔しとったわ。声掛けたら“はいはい”って起きそうやなってみんなで言うとったんよ。私もあんな死に方したいわぁ」
私「あはは……あははー……」
その方のことは私もよく知ってます。
幼馴染のおばあちゃんでした。
25年くらい前、お嫁さん(幼馴染みのお母さん)が脳に菌が入ったとかで認知症のような状態になってしまい、ずっとお姑さんであるおばあちゃんがお世話されていたんです。
夫のご両親、夫、そしてお嫁さん……と、考えてみたらそのおばあちゃんはずっと、
家族の介護をしてきた人なんですよ。いわば介護のプロ?プロ介護士?
昔は介護の資格もなかったし、もちろん介護サービスもない。
ネットで情報を仕入れることもできないんですよ?
そんな時代に自宅で一生懸命家族のお世話をし、最期を看取られたと聞いたことがあります。(あ、お嫁さんは今もお元気でいらっしゃいますけどね!)
そんな凄いおばあちゃんは、自分の介護は必要ないとギリギリまで自分で動き、最後の言葉が「あー疲れた」だった、と。
ほんと、お疲れ様でした。
ばば様会議はその後も老人会のイベントやら嫁の愚痴やら孫自慢やらをループし、私はタイマーを掛けていたスマホが鳴ったので「あ、電話だ!」と言って離脱(苦笑)。
Aさんの看取りを施設でお願いすることに決め、ここ数日気持ちが沈んでおりました。
我が家に連れて来ることは無理だし、自宅へ返すことも難しい。
家に連れて来て、私が介護できる? 否。
誰もいない自宅へ返して、Aさん一人で過ごせる? 否。
無理だという理由をいくつも見つけて、
「仕方ないよね!」
と自分の判断を納得させて、また不安になって、の繰り返しでした。
後悔はたぶんずっと残るでしょう。
これで良かったんだと完全に納得することは、たぶん、私には出来ないと思う。
その後悔を抱えていくことが、私がしなきゃいけない覚悟かなぁと思います。
午前中、Aさんの面会に行ってきました。
起きてた!目、開いてた!びっくり!てか、元気じゃーん!!!(笑)
麻痺のない方の手をぱたぱた動かして、声を掛けたら偶然か聞こえてるのか、何度か頷いてもくれました。
ここ数年、ずっと無反応だったのにー。
ちょっと嬉しくなって、あれこれ話しかけて、もしかするともうこんな機会ないかもしれないからと思って、これ言っちゃうとマズイかなってことも色々お話して、「大丈夫だからね、何も心配しなくていいから安心してね」と繰り返し言って、やっぱり今日も自分の偽善者っぷりが嫌だなと思いつつ、でも本音でもあり、うんうん、と、反射的に動いただけかもしれないのを勝手に頷いてくれたって解釈し、ほっとした気持ちで部屋を後にしました。
手をね、握ってくれたんですよ。
弱い力だけど、なんか気付いたらイケナイ茶系の汚れもあったけど(苦笑)、手の甲を擦ってたらその手を振り払うようにされて、一瞬「あ、やっぱ嫌われてる……」ってショックだったんだけど、その手が私の指を纏めてぎゅって、握ってくれました。
おいおいどうしたーってびっくりしました。
ひんやりと冷たい手に泣きそうになったけど、笑って言いました。
「大丈夫、安心して!」
そしたら、Aさんが「あ゛~」って声を出してまたびっくり。
え、喋れるん???って。
Aさんの声を聞いたのは何年振りだろう。
私の名前を呼んでくれた記憶が蘇って、ぶわって泣いちゃった。
くぅ、我慢してたのに!
面倒だーとか、嫌だーとか、でもしょうがないしーとか、マイナスな感情はなくなってはないけど、Aさんが元気だった頃、可愛がってくれて嬉しかったなという気持ちもやっぱりあって、だから余計気持ちは複雑でぐちゃぐちゃなんだけど、もう少し、あと少し、その細く小さな身体の中にある火が静かに消えていくのを、見守っていかなきゃなーって、そんな気持ちになりました。
帰宅後。
今朝会議に参加してたばば様の一人が私の帰宅を待ち構えておりました。
他の人には話せないという、嫁と孫の愚痴を言うために(苦笑)。
ま、いいんですけどね!
Aさんも落ち着いたから、暫く面会はいいからゆっくりしてねって施設の人に言われたからね!(逆に怖いけど。“その時”のために休んでおけって言われたと思うのは考え過ぎ?)
ばば様、どうやら自慢のお孫さんに「ばーちゃん邪魔!」と言われたのを気に病んでる様子。
キッチンで食事の支度をしようと思ったら、お孫さんが先に何か作ってたみたい。
そこへ、ばば様が近寄った、と。
ばば様は家の中でも杖使ってるし、ぶつかったら危ないからじゃなーい?って、言ったんだけど……。
どこでもそうだと思うけど朝のキッチンと洗面所は戦場ですよ。
そんなところにね、よろよろ歩いて近寄っちゃいかんて。
そこの家もちょっと複雑で、ばば様の息子さんが早くに亡くなってしまい、お嫁さんと孫三人で暮らしてたんだけど、十年以上前にお嫁さんと女の子のお孫さん二人が家を出て別の所で暮らし始めたのね。
お嫁さんの職場とかお孫さんの学校が遠いからとか、たしかそんな理由で。
まあ、本当の理由は別だと思うけど(苦笑)。
一人残ったお孫さんは男の子だったんだけど、そのお孫さんもしばらくしたら家を出てしまい、ばば様は八年くらい独居だったわけですよ。
一年前に男のお孫さんが戻って来て、半年前にお嫁さんと女のお孫さん二人が戻って来て、口では「帰って来んでもええのに。気軽な一人暮らしが台無しや~」とか言ってたけどさ、やっぱばば様もまたみんなで暮らせることになって嬉しかったと思うんだ。
ところがですよ。
嫁と孫はばば様に冷たい(苦笑)。めっちゃ冷たい。
他人の私でも分かるくらいだから、ばば様には相当冷たく感じるのだと思います。
他のばば様の前ではにこにこ孫自慢してたけど、本当は違うんだよぅぅぅって苦しかったんだなぁ、きっと。
見栄張りは地元の文化ですからね!(笑)
で、30分くらい家でお茶飲みながら喋って、すっきりしたばば様は
「また来るわ」
と言い残して帰って行きましたとさ。
残念だけど多分、このばば様の看取りは自宅以外だろうなぁ……。