ターミナル

ターミナル:終着、終末

つい最近聞いて、慌ててグーグル先生にお尋ねした言葉。

 

私は両親を亡くしているので、同じくらいの歳から上の年代の方に、
「じゃあご両親の介護の心配はないね」
と、微妙な返事を貰うことがたまにあります。

まあ、そうだよね。いないのは事実だから。

どちらも病気でしたので、最期は病院でお世話になりました。

 

現在私には、色々な事情が複雑に絡み合ってこんがらがった挙句、
切るに切れなくなった面倒な事情により、お世話している要介護な親戚がいます。

お世話といってもその親戚は介護施設に入所してるし、
私がしてるのは施設との契約や支払、あとたまに面会に行く程度。

あ、それとその親戚の家の様子を見に行ったり、お盆お彼岸お正月などその家の菩提寺に行って「いつもお世話になっております」と挨拶してお墓にお参りもする。

あー、それからその親戚の家の近所を回って挨拶もするかな。
一度、ちょっと離れた所にあるセカンドハウス(?)的な小屋(目的不明)の敷地内の木や草が酷いことになって、むちゃくちゃ迷惑だったみたいで役所を通じて苦情を貰ってしまったから。(これは本当にびびった。速攻で業者頼んで刈りまくって貰った)

本人のことは施設の方にお任せし(丸投げともいう)、私はそれ以外で動いている、というかんじ。

 

成年後見人制度ってご存知ですか?

自己判断ができない、または不安がある方(認知症や障がいや病気などでも)に代わって、本人が不自由なく生活できるよう支援(金銭管理等)をする制度、と私はざっくり認識してますが。

多くは身内(親兄弟子供孫)が裁判所に申し立て後見人になるみたいですが、身内のいない方、身内の方に色々不都合があると判断された方(病気だったり借金あったりとか)の場合は、弁護士さんや司法書士さんが指名されて後見につくそうです。これもざっくりですが。

これをね、つけようと数年頑張ったんです。

何度も相談できるところを探して伺ったり、電話したり、あともうちょっとで! というところまで漕ぎつけたのに、そこからのらりくらりと躱されてしまい、結局制度を利用できないまま今に至ります。

私が後見人になりたいって話じゃなく、第三者の方にお願いしたかったんです。

 

言い方は悪いですが、その親戚と縁を切りたかったんです。

同時に、同じ立場(血縁)の他の親戚に引き取って貰いたいと、何度もお願いしました。

もう無理、と。
限界です、と。

元々母がお世話してたけど、その母が亡くなってしまった。
親身になって下さった親戚もいたけど、その方たちも次々亡くなってしまった。
その方たちの家族は、「先代が勝手にやってたこと。自分たちは関係ないから」と手を引いてしまった。

私の兄と姉は「もしもの時は手伝うつもりだが、実家でのことはお前に任せる」と言うだけで全く宛てにならない。

もうなんなんだお前たちは!!!って、ぶちギレても、何も状況は変わらない。

自分の思い通りに事が運ばない苛立ちを、どこにもぶつけられずイライラモヤモヤしながらこの数年過ごして来ました。

 

先日、施設から連絡がありました。その親戚の具合が悪い、と。

しょっちゅう「熱出した」とか「吐いた」とか連絡は来てたから、多分今回もそれでしょ、と気楽に考えてました。

施設の人は、

「できたら近いうちに来て欲しい。ターミナルケアのことについて、担当医と相談員を交えて話し合いたい」

と……。

翌朝施設に伺うことを約束して電話を切り、私は大慌てでPCに飛びつきました。

 

ターミナル。終点。終末。

つまり、ターミナルケアとは人生の終末のお世話、って感じの意味なのかな。

調べながら震えてました。

調べていくうちに、延命するかしないか、を決めなければならないということが分かりまして……。

介護施設で看取りもやっていることは聞いていましたが、それがどういう意味なのかを理解してない……置かれた状況の面倒さにうんざりしてて、理解する気がなかったのかもしれません。

だから当時は返事ができず、「考えておいて下さい」と言われたような気もする、があんまり覚えてない。

両親の最期は、病気を治そうとして、輸血とか点滴とか人工呼吸器とかいっぱい身体についてて、でも無理で、ドクターや看護師さんが心臓マッサージとかしてて、でもやっぱり無理で……って感じでした。

病気だったのだから。これが両親の身体の限界だったのだから。ドクターや看護師さんは精一杯やって下さったのだから。

そんなことを考えながら、私は両親の死を受け入れました。

 

翌日、施設で予想した通りの話し合いが始まりました。

その親戚は“これから死んでいく人”で、まだ生きてるわけで。

最期をどうしますかって、やっぱ私が決めるのかよ、と気が遠くなりました。

本人が希望を言えるのが一番いい。私はそれに従うだけでいい。でもできない。

担当医の話だと、あんまり時間はない、印象。

相談員の話だと、いつ急変しても可笑しくない、印象。

 

こんなことなら早く誰かに引き取って貰えば良かった。

行政でも遠い親戚でもお世話好きなご近所さんでもいい、誰でもいいから押し付けて、知らん顔していれば良かった。

人の、人生の終わりをどうするかまで決めさせられるなんて、聞いてないし、困る。

困るっていうか嫌だ。

怖い。

全部放り出して逃げ出したい!

 

ってことを頭の中で十回くらいぐちゃぐちゃにかき混ぜてから、「自然にお願いします」と言ってしまいました。

自然に、とは前日調べた中で出て来た言葉で、

“積極的な延命を行わない”

という意味になる。

心臓や呼吸が止まったら、延命措置を行わずそのまま逝かせる、ということ。

同意書にサインする時は流石に手が震えました。

それを見ていた相談員さんが、

「もしも考えが変わったら、直前でも対応しますから、安心してね」

とおっしゃってくれたが、そういうことじゃないんだよー。

 人の、最期だよ?

それをこうしますああしますって、私が決めて、サインしたんだよ?

もちろん今すぐどうのこうのって話じゃないんだろうけどさ。

例えば……点滴まだ打てるのに止める、とか、酸素マスク外す、とか。

その人の最期を私が決めてしまったことが、怖い。めちゃくちゃ怖いんだって!

 

その話し合いの後、面会。

詰所の横の、いつでも数歩で行ける距離にいました。

相談員さんが「先に話しましょう」と言ってくれなかったら、たぶん決断出来なかったかもしれない……。

弱ってるなーって、お盆前に面会した時も思ったけど、親戚はその時以上に弱ってた。

脳梗塞で倒れて認知症になって、他は特に病気もなく。

三年前は介助なしでがつがつごはん食べてた人。

去年、噎せが増えたからってごはんがとろとろのお粥になって、おかずも刻み、それからミキサー食っていうのになって、それでもほとんど残さず平らげてた人。

今年の春、高栄養ゼリーに変えましたって連絡貰って、「ゼリーで生きていけるん?」て驚いたけど、つい最近までそれで過ごして来た人。

時々熱を出して肺炎になってを繰り返し、連絡貰うたびに(またか……)と思ってました。

具合が悪いと聞けば面会を増やし、良くなれば少しずつ足が遠のき。

決して、私は親身になってお世話してるわけじゃない。

嫌々やってるし、介護施設に入所してくれてて助かったーが、本音中の本音だし。

だけども、弱ってゼイゼイ肩で息をするその親戚の姿を見て、怖くて、申し訳ないなってちょっと……いや結構思ってしまって、なのに看護師さんは「足にチアノーゼが出てます」とか言って衝撃的にも程がある状態の足見せられて、頼むから勘弁してよと言いたいのを我慢して、お世話になってます、皆さんには本当に感謝してますって頭下げて、もうホントになんで私なんだって腹も立ったし、苦しいし、けどそんなこと本人の隣で言えないし、ベッド柵にしがみ付いて泣くしかできない自分の偽善者っぷりがもうね、ホントきつかった。

 

自宅に帰り泣き泣き姉に電話したら、姉は次の日面会に行ったらしい。

 

姉:「なんかさー、全然元気だったよ? 目開けてこっちみて、なんか言おうとしてたしさー」

私:「……はぁ!?」

 

え、どういうこと……?

今年は何度面会に行っても寝てるか、目を開けてても反応なかったのに?

もしかして、私、その親戚に嫌われてる……?

ほんと、誰かに押し付けてしまいたいぃぃぃ!!!

 

※長文失礼しました。